おこんにちわ。おっさんです。
花粉症と戦う毎日、
きれいな方&カワイイ方
に虐げられる毎日
、そんな時バリでビジネスを始めた頃のいや~なことをたくさん思い出します。
その中でも、
心に残っている経験談を書いてみましょう。
1999年、インドネシアはスハルト独裁政権が倒れ、初めて民主政治による大統領選挙が行われました
。
その真っ最中、ビーズのブレスレット
のオーダーを某大手通販会社から頂いた私
、インドネシアへと出向きました。
確か、外務省が渡航勧告「渡航の是非を検討してください」と発していました。
はじめての国民参加大統領選挙ということで、インドネシア人
、かなりヒートアップしていましたから。
とりあえず
JALでデンパサールへ。確か、その時代は18:00頃(現地時間)に到着したような記憶があります。
当時の弊社スタッフ、梅ちゃん(♂)
を同行させていました。
これまた当時の現地スタッフI
(名前を言うと腹が立って坐骨が痛むのでイニシャルにしときます)と現在もずっとスタッフでいてくれているAJI
がお迎え。
「タカハシさん、今日はこのままジャワ行くよ。バニュワギ村の集落の長が村の縫い子、みんな集めて作ってくれるって」
「ジャワ?何でバニュワギや?」
「村の女の人全員がビーズ縫ったり、刺繍したりの集落があるから。そこの長、少し知っているから。安いよ」
と、現地スタッフIが言うので、ジャワ島になんと
車でGO!
デンパサールからジャワ行のフェリー乗り場ギリマヌクまで、舗装できてるのかどうなのかの道をかれこれ4時間、
クタクタですわ。
やっと着いた
フェリー乗り場、なんと
なんと
フェリー待ちの車が1㎞以上連なっています
踊っています。インドネシア人、待ってる間ラジカセを大音量でかけて踊っています。約2千人。
「なんじゃ?こんなもん、いつ乗れるんや!」
「大丈夫、ココはインドネシア。ワイロの国」
一番前に来たとき、ガードマン
に当然止められます。
「5万ルピア、払ってください、高橋さん」
「おう?5万ルピア?ホンマか?」
ワイロ、当時のレートで700円弱
。それで先頭です。
乗船料も合わせると4人+車で合計1400円弱… 大丈夫か
誘導され、船内へ
。ぐちゃぐちゃです
。車がスクラップ工場のようにぐちゃぐちゃに入っています。
ぎりぎりのスペースに駐車を指示され、駐車
。ドア、開きません。窓から出ます。みんなそうです。
間違いなく、重量も定員もオーバーです
「おい、このフェリー大丈夫か?」
「問題ないね、2年に1回くらいしか沈まない」
「2年に1回って、あかんやろ!
」
「大丈夫、今日は波あまりない」
冗談かと思っていました。後で知りましたが、本当に2年に1回の頻度で沈んでいました
原因は、悪天候の中、無理な出港と過積載。そのたび800名以上死んでいました
インドネシア人、反省という言葉を知りません。
フェリー内部、客室… 大変です。
トイレの臭さとワキガの香りの香ばしいことったらありません。
梅ちゃん
、甲板で吐いています
。トイレでは吐けません。トイレよりゲロの方が美しいから
フェリーチルドレン
がいます。親にフェリー内部での稼ぎを強要されている子供たちです。
靴を磨かせてくれと言ってきました。
「俺、スニーカーやろ?見てわからんのか」
「じゃあ、日本人ならお金をくれ。日本人ならお金、あるやろ」
インドネシア語ですが、本当にこう言いました。お金の代わりに頭に平手打ち2発くれてやりました。
フェリー
、バリ海峡の海流の速さと重量オーバーのせいで歩くより遅いスピードで進みます。
須磨→淡路島間程度の距離を2時間強かけてやっとジャワ島東端の村、バニュワギ到着。
梅ちゃん、死亡。
日本を出て17時間、ブラジルか!
まだまだ続きます。